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「鏡の池」で古鏡を拝見しました!

季節情報

2010/09/12 Sun
篠原(しのはら)の戦いは、1183年に篠原古戦場(現加賀市篠原町)において木曽義仲軍と平維盛軍との間で行われました。

越前国(福井県)に生まれた斎藤実盛は、元はといえば源氏方。保元、平治の乱では義経の父・義朝の
家臣として活躍、義朝亡き後は一転して平家に仕えます。時代を読み、強者の庇護のもとへ。これは当時よくあること。当主はこうして一族や領地を守ってきたそうです。

京に上る木曽義仲に攻められ、北陸の平家ももはやこれまで。平維盛等みな後退するなかにあって、
白髪まじりの髪を染め、前主君・源頼朝に拝領した兜を付け、現君主・平宗盛に許された出で立ちの
斉藤実盛。大将かと見れば続く軍勢もなく、身分の低い侍かと思えば錦の直垂(ひたたれ)を着け、決して
名を明かさない。ただ一騎奮戦するも、木曽方の手塚太郎光盛と組み、討ち死に。不思議な武者と
思った光盛は義仲に首を差し出します。

実盛は、義仲の父・義賢が殺された時、預かった2歳の義仲を殺すのは忍びなく、木曽の中原兼遠にはるばる送り届けたのです。義仲が今生きているのは、みな実盛の温情があればこそ。名を名乗れば、たとえ平家軍の武将でも義仲は命を助けたでしょう。

しかし、白髪の老人だとて同情は無用、武士として対等に戦いたい。かつて助けた義仲の情にすがることなく、73歳の老武者は最期の戦いを選んだのです。命の恩人である実盛の白髪姿に、義仲はさめざめと泣いたそうです。


深田町にある「鏡の池」には、斎藤実盛が白髪を染めるために使ったとされる古鏡がおさめられています。
年に一度、秋祭りの前に池洗いが行われ、この時に古鏡を拝見することが出来るのです。

石碑DSC_0016

今日は、その池洗いの日。町民十数名が、集まって作業を開始します。
まずは、40分以上もポンプで池の水を汲み上げます。その間、周辺の草刈りが行われます。
ある程度、水が少なくなってくると人の手によるバケツリレー。皆さん、息がピッタリ合っています。

ポンプDSC_0081

バケツリレーDSC_0152

鏡洗いDSC_0174

古鏡IMG_0595

古鏡2IMG_0616

池の中を綺麗に洗い流したら、古鏡は元の位置に戻されます。こんな風に、毎年同じように作業が
行われているのです。

約830年も経って、平和であることが当たり前の今、亡き斎藤実盛がどんな想いで鏡を眺めていたのかは、想像もつきませんが、町の方々の温かい気持ちは、きっと伝わっていると思います。
町民の皆さん、本当にお疲れ様でした。(R)


【篠原古戦場】
  実盛の首を洗ったといわれるのが、片山津温泉近くにある「首洗池」
  また、実盛の墓と伝えられる「実盛塚」もあります。

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コメント
-  -
篠原の戦いで敗れた平家の残党が、
私の村の先祖ではないかと言われてます。
書物などは残ってないのですが、、、、
2010/09/12 18:44  | URL | sumiyakimura #-[ 編集] ▲ top
- そ、そうなんですか~! -
確かに、ありえる話ですね。
そういうことを調べていくと、今まで知らなかった歴史がひもとかれるかもしれませんね・・

 
2010/09/12 19:16  | URL | R #-[ 編集] ▲ top
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